Sugar Scrapbook

Sugarの雑記帳

乱視的読書術

私は三日坊主である。ほぼあらゆることに関して。今日はそれでいいのだ、という話をする。現にそうやって生きてきて、多少は困ることもあったが、今、充実した生を手に入れている。

読書を例にとろう。昔から私は一度のサイクルで一冊の本を通読したことがない。何かを読んでいると、次から次へと連想が働いて別の本が読みたくなる。その本に別の本への言及があれば尚更である。結果、本から本へ飛び移っていくことになる。私はこれを「乱視的読書」と呼んでいる。そしてこの「乱視」は矯正する必要がない。

「通読」や「読了」することこそ読書と信じこんでいる者や、「完全な読書」という観念に憑りつかれている者からしてみれば、不謹慎に思えるかもしれない。
だが、或る本を読み終わるということは実はないし、「完全な読書」というものも存在しない。本なんて好きなように自由に読めばいいのだ。

「乱視的読書」では知識が増えないという反論があるかもしれない。そもそも読書の醍醐味は知識の増大にはない。そのうえで言うと、「乱視的読書」でも知識は充分に増大する。例えば、興味が湧く本が百冊あるとしよう。一冊を三日読む。次に移る。これを繰り返す。実際にはもっと複雑な交通があるが今は流す。一年もすれば百冊の本に触れたことになる。
これを二十年以上続ければ相当な知識が身につく。

三日坊主を続ける。それでいいのだ。