Sugar Scrapbook

Sugarの雑記帳

乱視的読書術

私は三日坊主である。ほぼあらゆることに関して。今日はそれでいいのだ、という話をする。現にそうやって生きてきて、多少は困ることもあったが、今、充実した生を手に入れている。

読書を例にとろう。昔から私は一度のサイクルで一冊の本を通読したことがない。何かを読んでいると、次から次へと連想が働いて別の本が読みたくなる。その本に別の本への言及があれば尚更である。結果、本から本へ飛び移っていくことになる。私はこれを「乱視的読書」と呼んでいる。そしてこの「乱視」は矯正する必要がない。

「通読」や「読了」することこそ読書と信じこんでいる者や、「完全な読書」という観念に憑りつかれている者からしてみれば、不謹慎に思えるかもしれない。
だが、或る本を読み終わるということは実はないし、「完全な読書」というものも存在しない。本なんて好きなように自由に読めばいいのだ。

「乱視的読書」では知識が増えないという反論があるかもしれない。そもそも読書の醍醐味は知識の増大にはない。そのうえで言うと、「乱視的読書」でも知識は充分に増大する。例えば、興味が湧く本が百冊あるとしよう。一冊を三日読む。次に移る。これを繰り返す。実際にはもっと複雑な交通があるが今は流す。一年もすれば百冊の本に触れたことになる。
これを二十年以上続ければ相当な知識が身につく。

三日坊主を続ける。それでいいのだ。

人間の証

お題「忘れられない映画やドラマのセリフ」

スティーヴン・ダルドリー監督の『めぐりあう時間たち』(原題:The Hours)

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この映画自体が大好きで、印象的な台詞もたくさんあるが、なかでもとりわけ好きな台詞がある。映画の終盤(「人間の証」と題されたチャプター)にニコール・キッドマン演じるヴァージニア・ウルフが夫に向かって言う、名演説のような長台詞。

この町では死にそう!/冷静に考えて言うわ/今の私は深い闇の底に沈み/一人でもがいている/でもその感覚は私だけにしか/わからないことよ/あなたは私の死を恐れているのね/その恐れは私も同じよ/私の権利/人間としての権利で選ばせて/平和で静かな田舎で息が詰まるより/都会の暴力的な刺激に身をさらしたい/

そして、最後はこう結ばれる。

どんなに慎ましい患者も/自分のことを決める権利がある/それが人間の証よ

死んだまま生きるか、生きて死ぬかを決める権利。人生のこの時点でヴァージニアは二度の自殺未遂を図っている。妻を愛し案ずる夫の気持ちは痛いほどわかる。それでも、私自身が精神を病んでいるせいか、ヴァージニアの言葉に深い共感を寄せずにはいられない。