Sugar Scrapbook

Sugarの雑記帳

ロマンス

Dedicated to Buck-Tick







「私はあらゆる流れるものを愛する。あの月経の流れさえも。」
ヘンリ・ミラー































プロローグ



結華から実家の固定電話に着信があったときのことを今でも憶えている。一〇年ぶりのことだった。日付もはっきり憶えている。二〇〇七年十月十三日。その日は私の三一歳の誕生日だったから。
電話に出たのは姉だった。「結華さんという女の人からだけど、知っている人?」。ケイタイ時代に固定電話への知らない名前の人からの電話を怪しむ姉。
 心臓が跳ね上がり、鳥肌が立った。一〇年間、一瞬たりとも忘れたことがない名前。
 「うん」。冷静になるべく、ゆっくり立ち上がり、受話器を受けとる。「もしもし」。声が上ずるかと思ったが、妙にフラットな音が口から出る。「結華さん?」。
 「こんばんは。結華です。純くん? 久しぶりだね。いま大丈夫ですか?」。懐かしい声がする。「こんばんは。大丈夫だけど、ここリビングだから、ケイタイに掛けなおしてくれるかな?」。自分の他者のような冷静な口調にゾッとした。「わかった」。番号を伝え、ケイタイを手に階段を駆け上がり、扉を蹴破る勢いで自室に飛び込む。ちっとも冷静でない身体に安堵する。自分の心音を感じる。布団にダイブする。ケイタイをじっと見つめる。低反発枕に接した胸部が上下する。ケイタイの呼び出し音が鳴った。相手の番号は通知されている。ケイタイをパカっと開き電話に出る。「急に電話してごめんね。手紙を書こうと思ったのだけど、住所が変わっているかもって思って。実はね、最近、実家の家を取り壊すことになって、荷物を整理していたら、大学時代の日記と一緒に純くんの書いた詩とか小説のノートが出てきたの。お返ししようと思うのだけど、住所は昔のままかな?」。その声をずっと聴いていたいと思った。近況などを話していたら、アッという間に三〇分ほどが経過した。一〇年間、いつか伝えようと思っていた言葉は言えないままだった。あのことも。
最後に結華が「それじゃ、ノート送るね」と言った。私は内心焦りながら「最近、翻訳したものを送りたいから住所を教えてくれないかな?」と言った。それは密かな懇願だった。「いいよ。ショートメールで知らせるね」。「ありがとう、おやすみなさい」。「おやすみなさい」。
 電話を切る。緊張の糸が切れ一挙に放心状態になる。やけに静かだ。時計の秒針と心臓の音だけが聞こえる。耳がビリビリして、熱かった。普通に喋られたことが不思議だった。最後に結華に会ったときに投げかけた言葉は残酷なものだったはずだ。そう記憶している。なのに。ショートメールが届いた。そこには知らないマンションの住所と彼女の会社のメールアドレスが記されていた。
 
あの電話から一カ月ほど経った。その翌日から、パソコンでの翻訳作業の合間などに、お互い仕事中にメールすることが日課になった。結華は大学退学後、文壇バーで働きながら独学でプログラミングを勉強して、いまは女性下着メーカーでウェブデザイナーの仕事をしていた。ちょうど私はイギリスの大学出版局のホームページを翻訳していたので、質問を口実にこのメールのやりとりは始まった。同僚には内緒で文通。秘密の共有。電話はしないということだけが暗黙のルールだった。仕事の話はほとんどしなかった。この一〇年がなかったかのように、他愛のないメールを送りあった。
 誕生日から二日後に創作ノートが郵送されてきた。半透明な水色の紙片に背筋が凍るような美しい文字で短いメッセージ書かれていた。「ご機嫌如何ですか。あの愛おしい日々を今でも懐かしく思います。長らく預かっていた大切なものをお返ししますね。貴方の幸せをいつでも祈っています」。嬉しさと共に心に棘が刺さったような感覚があった。お礼に自分の対訳が載った雑誌を数冊、彼女に郵送した。ほどなくして《プレゼントありがとう。素敵なお仕事をしているのね。仕事場のデスクで送ってもらった銀座特集号の雑誌を読んでいたら、後輩の女の子が「結華さん、なんですかそのお洒落な雑誌?」って言っていたよ》というメールが届いた。私は彼女と銀ブラすることを夢想した。
本当は彼女にいま恋人がいるのか、あるいは結婚しているのか。知りたかった。でも訊ねる勇気がなかった。いまあるこの悦びが唐突に終わるのが怖かった。たまらなく結華に会いたかった。或る日、すべてが終わるのを覚悟で《会えないかな?》とメールを送信した。地獄の不安のなかで待つつもりだったが、返信は即座に来た。《いいよ》。
それから数日、いつ、どこで、どのように会うのかの計画を二人で練った。彼女は東京に居たし、私は愛知の実家に住んでいた。一一月末の土曜日に、彼女の職場がある銀座で待ち合わせすることに決まった。夢想は現実となる。

彼女は再会の日を「聖なる土曜日」と命名した。

 結華からの最後のメールはこう結ばれていた。
 《それでは聖なる土曜日に、黒いドレスで会いましょう》



第一章 鏡像段階



 一九九六年。早稲田大学文学部のスロープ。春だった。私は躁状態だった。大学に入学して最初の春休みのあいだ徹夜を繰り返しながら、サークルの機関誌に投稿するために、ずっと長編小説を書いていたら、脳がドーパミンやエンドルフィンなどの脳内麻薬塗れになり、私はハイテンションだった。春休みに入る前は鬱になっており精神科で不眠の治療も受けていて、小説のタイトルも「理由なき自殺の物語」というもので、自分の希死念慮を反映したものだったが、書いているうちに有頂天というかハッピーになり、途中で動機づけが途絶え全三部構成の構想のうち第一部だけを投稿して機関誌に未完のまま小説は掲載されたのだ。
 その日は入学式で、文キャンスロープを登り切った特等席に新歓用の出店を出していた。私は文芸サークルに属していた。文学部でしかも文芸サークルに居るような連中は筋金入りの文学好きや哲学好きだった。私は卒論代わりに小説を書いて卒業できると受験生のときに知って早稲田を選んだ。そして、入学して二年目の今年からその小説を書いて卒業できるという文芸専修に進学したのだった。
 
もちろん小説は書いていたのだが、サークルでは専ら哲学の読書会に参加していた。というか私が一年目のときから、留年して五年目の三田さんと読書会を主催していた。初めて会ったとき三田さんのカリスマ性にほだされてしまったのだ。ラブホテルのバイト帰りの三田さんは赤ワインの瓶を片手に、ヨレヨレの黒服で現れ部室にいる新入生に「哲学やらない?」と声をかけて回った。私はほとんど哲学を知らなかった。高校の倫理の授業も全く面白いと思わなかった。にもかかわらず三田さんが私の目の前に立ち「哲学やらない?」と訊いてきたとき「哲学は小説を書くことに役立ちますか?」と問い返した。三田さんは間髪入れず「うん。役に立つよ。やろう」と言った。いまとなってはその答えは嘘ではないにしても本当ではないと思うに到ったが、とにかく私は「じゃあ、やります」と応答してしまい、その場で読書会を共同主催することになった。私は人生で初めて師を得た。
 
パイプ椅子を折り畳み式の事務机の前に並べ、手作りの立看板を横に括りつけて、新歓用の出店を設置した。同級生の岡村と機関誌のバックナンバーを机に積む。最新号には未完の「理由なき自殺の物語」が掲載されている。まだ入学式の最中で人通りはまばらだ。式が終わればここはスーツに着られた新入生でごった返すはずだ。
 暇つぶしにパイプ椅子に座って村上春樹の『ノルウェイの森』を読んでいた。春樹には特別な思い入れがなかったが、新入生歓迎読書会として「村上春樹を全部読む」という企画を立てたので、仕方なく全部読んでいる最中だった。岡村も春樹の何かに目を落としている。あまり岡村のことが好きではなかった。彼の口癖は「実験」だった。私もスピノザを読んできたので実験精神は好きだったが、岡村の実験理論にはついていけず、彼とは話が合わなかった。彼はラグビー選手のような体格をしており、喧嘩したら瞬殺されそうだったから、いつもその理論をのらりくらりと躱していた。
 春樹の何かから目を上げた岡村が「セックスさえ描けば現代小説になると思っている馬鹿な連中ばかりでうんざりするよ」と話しかけてきた。私は「他に何がある」と思ったが、幸い「理由なき自殺の物語」の既発のパートにはセックス描写がなかったので「そうだよね」と相槌を打った。私は平気で噓を吐く。相手が好きな人でなければ。好きな相手にはラディカル・オネスティーを実践するように心掛けている。極端な正直さということだ。そのせいで好きではない人を傷つけず、好きな人を傷つける結果になっていた。
 横で岡村の実験理論に関する独演が続いていたが、私は聴くふりをしながら、別のことを考えていた。セックスと小説についてだ。サークルでは「童貞に小説が書けるのか」論争が継続中だった。書ける派の論客は童貞の岡村が中心で、書けない派の急先鋒は我が師である三田さんだった。中上健次の信奉者の三田さんらしい立場ではあると思った。いつも岡村は三田さんに論破されていたが、めげずに再反論を試みていた。私はと言えば、三田さんの論陣に与するふりをしていた。あくまで、ふりである。実を言えば、私は年齢イコール恋人いない歴で、童貞であった。そのことが発覚することを恐れてもいた。大学に入学してから何度となく「モテてるでしょ?!」と言われてきたし、三田さんからは新歓女子用客寄せパンダに認定されており、ばれている気配はなかった。いつも三田さんに「純は本当に美人だな」とからかわれた。岡村のいない酒席では、三田さんはもっと露骨に「童貞には小説が書けない」論をぶち上げていた。いまにして思えば、「童貞には小説が書けない」というのはナンセンスで、なんなら全編オナニーの小説を思い浮かべればいい。私は書かないが真剣に着手されてもいい、読んでみたいものだ。
 オナニーと言えば、前年の早稲田祭のときに作家と社会学者の公開対論を企画開催したのだが、二時間の対論の四分の一くらい二人の先生はオナニーの善用について語っていた。その部分の文字起こしを担当したので内容をいまでも憶えている。一九九五年にはオウムのテロ事件が話題になっていた。「彼らはオナニーのしすぎでアルマゲドン的誇大妄想を抱いたのではなく、十分にオナニーしなかったから誇大妄想を抱きテロに走ったのです」。「オナニーは重要です。とかく男性のオナニーは。オナニー害悪説は全くのインチキ。射精後の虚無感や罪悪感が重要なのです」。「そう、オナニーのあとの虚無感が誇大妄想や万能感を相対化します。正気でいるためには多くオナニーをするべきです」。
 この時にはまだ「賢者モード」という言葉は人口に膾炙していなかった。ただ「賢者モード」はあの思春期特有の罪悪感をスルーしてしまっているようにも思う。男性であれば誰もが経験するように、経験浅く射精した後には、恍惚から急転直下、強烈な罪の意識に苛まれる。自分が汚らわしく思える。強烈な自己嫌悪に陥る。虚無感はその後に訪れるのであって「賢者モード」はこれに対応している。十代前半までは私もそうだった。小学校低学年のときオナニーを覚えて、大学に入学する頃には、オナニーの前後の差異が消滅するに到ったのだが。女性なら自分の父親のオナニーを思考実験すればいい。男の自己嫌悪を理解できる。

入学式が終わったようだった。スロープから見える式会場の体育館の出入り口から、新入生の群れが吐き出されている。『ノルウェイの森』を鞄にしまった。岡村もスピーチを切り上げ、少し姿勢を正した。群れがスロープを登ってくる。挟撃するように各サークルの勧誘が始まる。文芸サークルはそれほど人気がない。それでも二日間の勧誘期間に二〇〇人くらいは新入生を応接することになる。そのうち三、四人が加入してくれれば十分だ。事実、私の学年の会員は岡村の他にあと二人だけだった。人数が増えすぎても困るので、他のサークルとは対照的に声掛けもしなければ、ビラもまかなかった。私も岡村も近づくなと言うようなオーラを放っていた。仏頂面のスーツ姿の喫煙者二人。嫌な感じだ。飲み物を差し入れに来た女性幹事長、森田真紀さんに叱られて漸く場が動きはじめた。顔に最大限の愛想笑いを貼りつけた。

「当会は文芸サークルです。主な活動は読書会と機関誌の発行です。学祭では講演会などを企画したりもします。読書会は文学や哲学など会員によって様々です。機関誌には誰でも投稿できますが、当会の特徴としては選考会を設けているところです」とテンプレの説明をしてから、新入生に任意でアンケートを記入してもらう。初心なのか記入を拒否する者はほとんどいない。名前、出身校、連絡先、好きな作家。アンケートの記述を見ながら、会話を膨らます。親切心からそれとなく自治会には関わらないほうがいいですよと忠告もした。自治会は政治セクトの巣窟だった。
私は哲学読書会の参加候補者を探しており、それとなくアピールしていたが、一〇人くらい応対して、それまでのところ芳しいリアクションはなかった。十一人目に『批評空間』を愛読しているというチーマー風の青年がいたので、もしかしたらと思って触りとして「「ソルジェニーツィン試論」はどうでした?」と振ってみた。「ソルジニーチンってなんですか?」と返ってきたので、仕方なくアンケートに記されている柄谷行人の話ならいけるかと思ったら、固有名に関する珍妙な解釈を披歴された。入学時の自分を思い出して親近感が沸いたので、自分の読書会を推してみたが、彼はデカルトスピノザライプニッツなど一七世紀の哲学者に興味を示さず、新歓コンパの話をする前に、早々と立ち去っていった。横では何やら岡村が安部公房の話で盛り上がっており、その話の相手がその場で入会してしまった。「哲学の話はやめたら?」と岡村が得意満面で言った。

私が相手した十二人目から四九人目までの印象は曖昧だ。
五〇人目が私の人生を変えた。

夕暮れどきだった。そろそろ店じまいしようかという話になっていた。そのときだった。私の前に女神が舞い降りた。いまにして思えば、堕天使が天国から堕ちてきたのだ。ヒールの効果もあり、すらっと背の高いその女性は「よろしいですか」と言って、するりと私の前に腰かけた。傍らの岡村がビクンとなった気がした。シャツの下の私の両腕にも鳥肌が立っていた。その瞬間、彼女の容姿以外の情報はなかったのでルッキズムも許されると思うが、その美貌は超越していた。すべてを。それまでに会ったどんな人間よりも彼女は美しかった。
テンプレを無視して、私は自己紹介をした。「こんにちは。不破純です。このサークルの副幹事長をしています」。彼女は「Y田結華といいます。読書会に興味あるのですが?」と応じた。当然ながらの澄んだ美声だった。私の思考回路は焼きつきそうなほどフル回転していた。これは勧誘ではなかった。生まれてから、一度も、誰も口説いたことがなかったが、いまここで、この数分間で彼女を口説き落とさなければならなかった。遅すぎる女性への初恋だとか一目惚れだとか美的判断力の破綻だとか、複雑な要素が思考を阻害していたが、すべて無理やり脇に措いた。
「好きな哲学者はいますか?」。それが私の一世一代の口説き文句だった。それまでの人生における女性経験の絶無を呪った。終わった、と思った。終わってはいなかった。
細い人差し指をこめかみに当てて、しばらく考えこんだ彼女は「そうですね。シェリングキルケゴール、あとシモーヌ・ヴェイユかしら。実存哲学に興味があるのですけど。最近はシェリングも推しているスピノザの『エチカ』を読んでいますよ」。シェリングキルケゴールヴェイユも読んだことがなかったので、途中、絶望しかかったが、スピノザの名に運命を感じた。無知は隠しつつ哲学読書会に誘ってみた。彼女は快く承諾してくれた。
それから、思い出したようにアンケートを記入してもらった。彼女はミッション系の女子校出身で、好きな作家はヘンリー・ミラーだった。僅かな違和感を覚えた。

 出店を畳んだ後、高田馬場にある大型書店に直行した。無知を直ちに補うために。入門書の類はなかったので、シェリングの『人間的自由の本質』とキルケゴールの『死に至る病』、ヴェイユの『重力と恩寵』とヘンリ・ミラーの『北回帰線』を購入。念を入れて洋書コーナーで『北回帰線』の原書も手に入れた。彼女が「ヘンリ」ではなく「ヘンリー」と書いたことが引っかかっていた。私は幼少時代にイギリスで英語を母語として育ったので、原書もなんとかなるだろうと思った。私はすでにY田結華の虜になっているも同然だった。虜になっていた。愛する者のすべてを知りたいというのは、それが叶わぬ夢であっても、当然の摂理だ。その手掛かりを与えられた私は幸運だったと言えるだろう。彼女の心の参考文献を手に入れたのだ。
 彼女と再会するはずの新歓コンパまでに、無知を隠蔽するための猶予は一週間しかなかった。駆け足でアパートに帰った。早速、読書に取りかかった。問題があるとすれば彼女の思想信条が分からないことだった。それらの本、心の扉をどのようなスタンスで読んでいるのか。ミッション系出身ということで、キリスト者寄りと決め打ちするのは危険に思えた。
 手始めに、哲学史の本を引っ張り出して調べてみた。キルケゴールについてはそれなりの予備知識を得たが、シェリングの項目は簡潔すぎたし、ヴェイユには触れられてすらいなかった。三時間ほど『死に至る病』を読んでみた。これは骨が折れるなと思った。三田さんに電話して相談してみることにした。「『おそれとおののき』を読め。話はそれからだ。著作集に入っているので」との託宣を得た。明日、図書館で借りることにして、とりあえず『北回帰線』を読むことにした。数頁、捲って、これはY田結華からのメッセージであると思いこんだ。夢中になって読み耽った。気づけば朝になっていた。

 予習した内容はほとんど不要となった。結華とのあいだでキルケゴールが話題となることは、一度もなかった。新歓コンパから一ヶ月、私はサークルに入会した彼女と二人きりになるチャンスを伺っていた。その機会は哲学読書会のあとの飲みに向かう道すがら訪れた。私は彼女と並んで歩いていた。スピノザの話題が途絶えたところで、平静さを装いながら「明日、神田の古本屋街に行こうと思っているんだ。友達が神田のマップを作ってね。Y田さんも一緒に行かない?」と言った。「いいですね。でも、Y田って他人行儀な呼び方をやめてくれたら。結華って呼んでください」。そのタイミングで三田さんが追いついてきた。

 神田を皮切りに、何度も彼女とで出かけた。名画座で映画を観たり、美術館に行ったり、キャンパスでも部室でもいつも二人は一緒だった。デートを重ねた。「デート」という言葉を周到に避けながら。三田さんが「それはもう付き合っているんだよ。部屋に連れ込めよ」と言った。「まだ告白してないので」と返すと、「どこのお子様だよ?」と言われた。
 或る日のこと、お洒落な店をあえて選ばず「一休」という学生が集まる居酒屋で結華と安酒を飲んでいた。散々ビールを飲んだ。頭のなかは告白でいっぱいだった。食欲がなく空腹だったので酔いが回った。何度もトイレで身体をリセットした。結華は日本酒をちびちび飲んでおり、赤らんだ顔が怪しいまでに色っぽかった。二人とも喧騒のなかやけに饒舌に喋ったがあまり内容は覚えていない。

 一〇時ごろに店を出て、終電までのあいだ酔いを醒ますという口実で戸山公園まで散歩することにした。彼女は拒否しなかったが、先程の饒舌が嘘のように二人は押し黙って歩いた。夜風は心地よかった。戸山公園に着くと、公園に点在する二人掛けベンチでカップルたちがいちゃついているのが薄明りのなかで目に入ってきた。結華が身体を強張らせるのを感受した。公園の入口に引き返して、その近辺のベンチに座った。ベンチのサイズ感のせいでお互いの半身が微かに触れる距離だ。彼女の体温が伝わってきた。私は意を決して。 

 「好きです。恋人になって下さい」。何の装飾も色気もない告白だった。返事を待った。意表を突くような異様に長い沈黙があった。彼女は俯き考え込んでいるようで、何も言わなかった。私も何も言うべきことが思い浮かばず、黙っていた。五〇分か一時間は経過した。彼女の終電の時間は過ぎていった。私は判決を待つ被告人の気分になっていた。死刑宣告を受けるのではないかと思った。流石に心配になって、彼女の右肩にそっと触れた。深呼吸してから「私も純が好きよ」と小さな声で言われた。さらに一呼吸間があって「いつかは二人が一緒になるって分かっていたの。でもこんなに早くとは思ってなかった。夏ごろかな、秋ごろかなって。でも、ううん、言っておかなきゃならないことが、たくさんあるの。きっと私のことを嫌いになると思うわ。でも、もう一度、好きになってほしい」。
意味が分からなかった。何か言おうとしたが、彼女は私の唇に唇を重ねて言葉を遮った。お互いの瞳を覗きこんだまま、舌が絡みあった。あまりに濃厚なファーストキスだった。彼女を抱きしめようとすると、身体を引きはなし「ずっと、貴方を見ていました。好きです。ごめんなさい」と言った。
尚のこと意味不明な発言だったが、要するに告白を受け入れてくれたのだと解釈した。結華が非論理的になることもあるのか、という驚きと喜びがあり「ありがとう」と返した。「違うの」。出合ってから初めて彼女から感じる微細な怒気が、その声に孕まれていた。「違うの。いいえ。貴方が好きで、お付き合いはしたい。でも、その前に、どうしても言わなくちゃならないことがあるの」。彼女の頬を一筋の涙が流れる。公園の薄暗い照明のなか、それは血の滴に見えた。
「貴方をずっと見ていました。貴方を初めて見たのは入学式の日ではなかった。純の名前も知っていたの。貴方を発見したのは早稲田のキャンパスに見学に訪れたときだった。貴方は文キャンのベンチで煙草を吸いながら、分厚い本を読んでいたわ。風格があった。大人の人だと思った。貴方に視線が釘づけになっていた。何を読んでいるのか知りたかった。貴方が荷物を無防備に放置して、自販機に向かった隙にこっそり盗み見て、タイトルをメモした。『アーレント政治思想集成1』という本だった。その日、貴方の後ろを歩いて回りアパートまでついて行った。帰り道、高田馬場の大型書店でアーレントの本を買った。時間がかかったけど通読して、固有名詞の一覧表を作った。学校の放課後は毎日、土日は親に怪しまれないように一ヶ月に二回、駅のトイレでアイメイクをギャル風に替えてマスクをして、貴方を尾行した。第一志望の東大はわざと不合格になった。そして、入学式の日、初めて貴方とお話したの。愛しているの」。告解室で喋るような彼女の告白は終わった。
それは罪の告白でもあり、愛の告白でもあった。私は彼女の言葉のどれ一つとして神に媒介するつもりはなかった。その言葉は私のものだ。一瞬、三田さんのアパートに放火した女のことが頭を過ぎったが構わなかった。逆の立場だったら、同じことを彼女にしていたはずだ。結華は私の鏡像だ。彼女に成りたかった。それが私の欲望であった。そのときには知らない根源的な変態が私の身体に生起していた。

終電を逃した結華は私のアパートに泊まることになった。コンビニの前で「ちょっと外で待っていてね」と言われたので、一服しながら待った。しばらくして、ワインとビールの入ったレジ袋を持って彼女がコンビニを出てきた。アパートに戻ると、彼女はパジャマを貸してほしいと言う。着替えるとき彼女は電気を消した。布が擦れる音がした。再び、部屋の灯りがともされとき、パジャマの上着だけを着た彼女がちょこんと座っていた。オーバーサイズの生地の下に豊かな乳房と乳首の突起の形がはっきりと見えた。そこだけが張りつめている。はっきりとフェロモンの実在を確信した。だが、私は勃起しなかった。

未来永劫、勃起することはなかった。

トランクスにカウパー氏腺液の染みが広がるのを感じながら、繰り返す接吻から零れるお互いの唾液をつまみに、ワインを酌み交わした。「どうしてパジャマの上だけなの?」と野暮な質問をしてみる。「染み、できちょうから」と聞いたこともないような甘ったるい返事が返ってきた。二本の指で確認すると、そこは確かにさらさらした液体の感触だった。二人は濡れそぼちながらワインを一本空けた。時間の感覚が狂っていた。彼女はゆっくりと胸のボタンをはずしていった。デニム越しに私の股間に手をやり、怪訝な顔をする。乳房が私の胸に押しつけられる。不意に私は精を発した。たまらなく恥ずかしく、頬が紅潮した。素直にそのことを告げ、失態を謝った。
立ちあがって、浴室に駆けこもうとした。二の腕を掴まれ制止された。「大丈夫だから」と言って、結華は私の額と頬、唇に何度もキスをした。ワインをもう一本飲み、二人裸で毛布に包まって、寝た。

 私は童貞のままだった。

千葉県に実家がある結華は、それから、いつも私のアパートに寝泊まりした。週末ごとに荷物を運んできて、気づけば同棲生活が始まっていた。親にはルームシェアを始めたと嘘を吐いて。私が永久的なインポテンツになっていたので、挿入という意味でのセックスは一度もしていない。その代わり私たちは工夫と実験精神を存分に発揮した。スピノザによれば私たちの生とは実験だった。結華は私のインポテンツを喜んでいるようだった。私と結華が行っていたのは専ら性と快楽の実験だったが、性とは即ち生だった。善悪の彼岸に立つものにとっては、それ自体として善いもの、悪いものは存在しない。生の活動力能つまり生の強度を高める行為こそが善い行為なのだ。二人にとって最高のエクスタシー、最高のオルガズムを齎すために、様々な性行為の順列組み合わせを実験した。実験結果としては、何か特定の行為にその何かは還元できないということだった。
 同時にエクスタシーに達し、自己の殻を抜け出るときに融即状態がやってきた。二人は融けあった。どこから私が始まり、どこで彼女が終わるのかが分からなかった。レズビアンが貝合わせをするような体位で海綿と粘膜をこすり合わせるときなどに、それはやってきた。果てるとき、私たちは精液や小便を吹き散らし、さらにお互いに塗りこみあった。

 そんな生活が数ヶ月続いた。実験に疲れた私は眠っていたが、キッチンから物音がして目を覚ました。明かりがついていた。時計を見ると深夜の二時だった。キッチンに向かって呼びかけた。返事はない。胸騒ぎがしてキッチンに行くと、結華がテーブルで独りワインを飲んでいた。顔に憂いを浮かべていた。公園でのあの長い沈黙を想起させるような表情だった。私が恐る恐る「どうしたの?」と訊ねると、「嫌な夢を見たの、あいつの夢」と言う。「あいつって?」。「父親よ」。結華と両親の関係は良好なはずだったが。「あの人は義理の父なの。とてもいい人。母の再婚相手。あいつって言うのは実の父親なの。中二のときにどこかに蒸発しちゃったんだけど。酒乱でね。酔っ払うと、あの娘は俺にちっとも懐かない、俺の子じゃないんだろう?とか言って、母を蹴飛ばしていた。私を嫌っていたくせに、入浴中によく乱入してきたの。初潮が来たらそういうのも、なくなったんだけど……最低な男。お母さんが可哀そう」。結華は体を震わせながらむせび泣いた。掛けるべき声が見つからなかった。
 「……中二のときに家出してね。『ライ麦畑でつかまえて』を読んでね。私も家出してやろうって。あるあるでしょ? 二日間、渋谷でうろうろしていたら、二人組のサラリーマンに声をかけられた。男なんてみんな子供が好きな子供でみんな最低。補導されて家に帰れたのは五日後で、帰ると父の姿はなかった。援助交際に走ったのはその頃から。軽蔑したでしょ? 私は汚れているの」。何か言わなければならないと思った。「何が汚れるって言うんだい?」とかすれた声を絞り出した。「魂」と言うのが彼女の答えだった。空になったワインのボトルが鈍く光った。

結華の父親への憎悪を聞かされてから、私は人生史上最重度の鬱に陥っていった。春先からの躁状態への反動もあったのだろうが、やはり激烈な憎悪と男性嫌悪に当てられてしまったのだ。結華はずっとそばにいてくれた。なぜ私だけが許されているのだろうと思った。だけど、私を心配してみるみる痩せていく彼女といるのは耐え難かった。或る日のこと「私にできることは何でもするから」と彼女が言った。

 私は「独りにしてくれ」と答えた。

その翌日、私は重い心身を引きずり、大学事務局に出向き休学届を提出して、その日のうちに帰省した。誰にも伝えず。結華とは音信不通になった。死にたいというより死んでいるような気分だった。



間奏



一九九八年度前期から復学すると、結華は大学を辞めていた。アパートに荷物を残したまま、ケイタイも解約していた。どう探しても連絡がつかなかった。不穏な噂を幾つか聞いた。早稲田の輪姦サークルが逮捕者を出していた。

 一度、三田さんに呼びだされた。またも留年した三田さん退学して、自由を求めアムステルダムに旅立っていった。譲り受けた蔵書のなかに『ジェンダー・トラブル』があった。私はサークルを辞めて、大学とアパートを往復するだけの生活に入った。専らアパートの部屋に引きこもっていた。小説を書くのも止めた。哲学の卒論を書きはじめた。タイトルは「ジュディス・バトラースピノザ論──エチカとしての『ジェンダー・トラブル』」にした。
 アパートには結華の私物が全部残されていた。幽霊に憑依されている気分だった。恋人に死なれたらこんな気持ちになるのだろうか。私は戸山公園で自覚した自らの欲望に忠実であろうと思った。この欲望が謎のインポテンツの正体だろうと思った。

 私はY田結華に成りたかった。

 結華の私物を確認することにした。モノトーンがメインの様々な衣類、スカートやブラウス、ワンピースやスーツ、ショーツやブラジャー、未開封のパンストや生理用品、化粧品各種、シェーバー、ウィッグ、女性向けの可愛い色の「一人エッチセット」と書かれたラブコスメティックスのセルフプレジャーグッズ一式まであった。すべてを試したいと思った。一度裸になった。姿見の前に立つ。脛毛が醜く、貧相な胸が悲しかった。シェーバーで脛毛と腋毛を剃った。拒食症の女に見えた。下着を身につけていく。ショーツの前後を持って引き上げる。ブラジャーは胸囲が合わず、きつくてホックをはめるのに四苦八苦した。プリーツスカートを穿き、ブラウスを着て、ウィッグを被った。鏡の前で様々なポーズを取り、ケイタイのセルフタイマーで写真に収める。悪くないと思った。
 化粧ポーチを開いてみて、メイクの仕方が分からないことに愕然とした。結華は化粧をする過程を私から隠したがった。先程とは逆の順番で脱衣していく。ショーツだけの姿になった。身体が火照っていたが、結華が愛用していたピンクの部屋着に着替えて、その日は寝ることにした。

部屋に居るときの私はY田結華だった。女の子に成りたかった。男の服など燃やしてしまいたかったが、外出する時には必要だった。バトラーのクイア理論にのめり込んだ。スピノザの『エチカ』をクイアに変形した。私と結華の実験は正しかったという確信があった。モデルのスタイルブックでメイクアップを独学して化粧の腕を上げていた。「一人エッチセット」はかなり使い込まれていた。

土曜日の夜、一〇時ごろだった。誰かが部屋のドアを激しくノックしていた。何も考えずドアを開けると、そこに姉が立っていた。「あら」という間抜けな声が姉の口から発せられる。それから「何ですかね?」と言いながらカラカラ笑いながら私に抱きついてきた。姉のその笑い声が昔から好きだった。アルコール臭と香水まじりの姉の懐かしい匂いに涙が出そうだった。当然、私は女装をしており、姉と会うのは半年ぶりだった。姉は私の性向を知らないはずなのに。
姉はどかどかと部屋に上がり込んできた。「連れと喧嘩しちゃってね。泊めてくれる?」と言いながら、姉はスカートとパンストを脱ぎ、布団を敷きはじめている。「よく頑張ったね。おいで」。ピーチジョンのモフモフ部屋着を身につけたまま、姉と添い寝した。私の頭を撫でながら、もう一度「独りでよく頑張ったね」と姉が言った。姉のいびきを子守唄に私は深い眠りについた。
目を覚ますと、香ばしい匂いがした。キッチンで姉が朝食を作っていた。野菜炒めと目玉焼き、ご飯とみそ汁。完璧だった。

 一週間後、女装して大学の診療所に行って、症例シュレーバーを参考に宇宙論的物語を語ったら、診断名が躁鬱病から統合失調症に変わった。晴れて独身分烈機械の仲間入り。診察は二時間に及んだ。強く入院を勧められ、私はどうでもいいと思ったが、自傷他害の危険は皆無ということで一週間様子をみることになった。その代わり強烈な持続性注射剤をお尻に打たれた。ショーツをずり降ろされながら、少し興奮した。
 
 姉が月一でわざわざ愛知県からやって来て、私のアパートを訪問するようになった。二年半、姉のサポートを得て、病気を抱えながらも無事、卒論を提出して卒業し五年間の大学生活は終わりを告げた。



第二章 Born To Be A Lady



 卒業して二日後、アパートを引き払って、持病の統合失調症のため療養も兼ねて、一応男装して私は愛知県の実家に帰った。病気は寛解していたが、とても就職して働ける状態ではなかった。重度の鬱状態だった。父は愛人を作って、母と離婚して海外に高飛びしていたので、母と姉との三人暮らしが始まった。姉が一家の大黒柱だった。昼は県庁で働き、夜のバイトもたまにしていた。名古屋の歓楽街にある「デュオニッソス」という秘密倶楽部で夜の蝶をしていた。母も市立図書館で司書をしていたし、私は障害者年金をもらっていたので、母の扶養家族として、衣食住に困ることはなさそうだった。
無職あるいは無色の寄生虫という身分も悪くないとも思ったが、何か仕事をしたいとも思ったので、在宅でできる仕事を模索した。帰国子女だったので、英語の能力を活かせるだろうと思った。邪魔な父が居なくなったので私は本格的に変身することに決めていた。変身するためには資金が必要だ。流石に母や姉に頼るのは気が引けた。とりあえず、英語の実力を試すために英検1級とTOEICを受験することにした。
 
家に帰ったその日の晩御飯の席で姉によって強制的にカミングアウトさせられた。「純は女の子になりたいのだってさ」。私は硬直して、箸を落としそうになった。母の顔をマトモに見ることができなかった。母は一言「知っていたわ」と呟いた。顔を上げると母は何を今更とでも言うように余裕の笑みを浮かべていた。姉は私に向けて親指を立てていた。そして「プレゼントよ」と言って大きな紙袋を背後から取り出して、私に差し出した。袋を覗いた私は泣き出してしまった。ポロポロと大粒の涙が零れた。母と姉の理解と寛容に感謝し、嗚咽のあと慟哭した。いま死んでも私は幸せだなと思った。
泣き止んで、パステルカラーの真新しいピーチジョンショーツやブラジャー、スリップと部屋着が入った袋の底に靴箱サイズの箱があるのを発見した。ピンクの箱には女性のシルエットが描かれており「プエラリアマニフィカ」という文字があった。「胸がペタンコだとアレだからね。あと私の部屋の服、好きに着ていいから。下着の棚は空けるなよ」と言って姉はカラカラ笑った。

三ヶ月ほどプエラリアマニフィカを服用していたら、胸がAカップくらいの乳房に成長した。ペニスも身体に陥没してしまった。当初は名古屋の翻訳学校に通うことも検討したが、育つ最中で変身の途中に人前に出るのは憚られたので、代わりにプロ翻訳者養成の通信講座を受講した。英検とTOEICの試験は顔をゴスメイクで誤魔化し、姉にレザージャケットとダボダボのカーゴパンツを借りて、出掛けた。呼吸することを忘れそうだった。会場のトイレを利用するときは流石にドキドキしたが、特に何の問題もなかった。英検1級に合格して、TOEICで満点の九九〇点を獲得した。
翻訳会社のトライアルの受験資格を調べたら、英検準1級、TOEIC860点以上というのがほとんどだったので、次々に受けたら、四つ目の急募の仕事に採用された。めでたく大手翻訳会社の登録翻訳者となった。通信講座の教材はゴミ箱に捨てた。母と姉が名古屋でお祝いの食事会をしてくれた。食事のあと母は電車で帰宅したが、私と姉は夜の名古屋に繰り出して飲むことにした。
一軒目は姉のホステス仲間が集まるクラブで、踊り狂った。悦びでテキーラを呷りまくって、泥酔した。同じく酔っ払った姉と肩を貸し合いながら、勢いでタトゥーパーラーに入った。店を出るとき、時計を見たらちょうど真夜中だった。ビルディングの隙間の月は満ちていた。姉は「月が綺麗ですね」と言って、なぜか爆笑していた。既に終電を逃していたので、飲みなおすことになった。更にディープな場所に。
クイア系のバーで、カウンターで隣あった若いトランス男性兄弟のようなゲイカップルのような二人組と意気投合した。テーブルに移動して赤ワインを二本空けた。ひとりが岩井康一と名乗り、もうひとりが康二と名乗った。やはり二人はトランス兄弟だった。断然、細身で身長が高い康一がタイプで、なにより彼の面立ちはどことなく結華に似ていた。姉が「お持ち帰りされちゃう?」と耳打ちしてきた。私は股間で何か液体で濡れるのを感じていた。赤面したが、どうせ酔っていて誰にも分かりはしない。もう一度、姉が耳元で囁く。「どっちの男にする?」。
狙いどおり、私たち姉妹は二人が住むマンションにお持ち帰りされた。タワーマンションの上階のだだっ広い部屋だった。リビングで三本目のワインを空けた。四本目が空くころには全員下着姿になっていた。姉の左内腿のタトゥーが目に入った。エメラルドグリーンの蝶の下にCAUTEの文字。ラテン語で「ご用心」という意味だ。私の右内腿にもお揃いのタトゥーがあるのを確認する。乳房もありタトゥーを入れたので、今後入院したとしても男との芋洗い入浴に耐える必要はなさそうだった。
康一が下着のナイロン越しに私の肛門を愛撫している。真向いで姉と康二が絡まっている。姉のたわわな胸が顕わになる。康二はペニスのような肉の棒を姉の唇にあてがっている。姉のセックスを見るのは初めてだった。不意にこれは何らかの近親相姦ではないかと思った。
酷く酔っていた。康一が私のショーツを膝裏までずり下ろすと、顔を横向けにして康二の肉の棒をしゃぶっている姉の股座のほうに、私の後頭部に手をやって顔を押しつける。「お姉さんのそこをお掃除しなよ」。頭を振って、いやいやと嫌がっていると、後ろから肛門に何かが挿入された。お尻の処女を奪われた。日ごろ使っていたバイブレーターよりずっと柔らかくて、直腸の奥まで容易に入ってきた。姉の雌の匂いが鼻腔に突き抜ける。康一も康二も入れたり出したりしている。身体がビクンビクンと痙攣して、その場にいる全員分の射精をした。真っ白な世界。その後の記憶は曖昧だ。

朝、腿の痛みで目覚めると、キングサイズベッドの上だった。姉の喘ぎ声がする。四つん這いの姉の前と後ろから、岩井兄弟が責め立てている。私は枕元の煙草に手を伸ばし、点火して肺の深くまで煙を吸い込んだ。新歓の出店で岡村とした現代文学談義を思い出していた。「セックスさえ描けば現代小説になると思っている馬鹿な連中ばかりでうんざりするよ」。あのときお茶を濁しながら、内心「他に何がある」と思ったのだが、いまでも私が正しかったと思っている。他に何がる。人生においても。
その週末はずっとそのマンションで昼夜問わずヤリまくった。

姉との絆が深淵領域まで深まった。セックスは人を引き裂くこともあれば、深く結びつけることもある。

 或る日のこと、仕事から帰った姉から一枚のチラシを渡された。明朝体で「女性/男性教室」と印刷されていた。「トランス、MtFFtM、異性装、あなたの移行をお手伝いします」という触れ込みだ。ボイストレーニングと仕草の項目に興味があった。外見的なこと、服装やメイクは姉に仕込まれてそれなりに上達していたが、声の質を変えることに四苦八苦していた。YouTubeのトランス女性のレクチャー動画を繰り返し観て、練習していたが、講師の彼女がアメリカ人のためか、なかなか思うようにいかなかった。
録音した自分の声はハスキーなオネエ口調だった。その先に行きたかった。声帯を外科的にいじることなく、女性的な声を手に入れたかった。真に不破純からや安田結華に変身するために、「女性教室」に通うことにした。そうして一年の月日が流れた。私の身体は優雅に内転し、円運動しながらピンヒールを履いても踊れるほどになった。お花と日本舞踊のレッスンで仕草は洗練され、録音再生しても見知らぬ女性の美声が鳴り響いた。闇病院で女性ホルモンの注射を開始した。
 
病者の宿命として月に一回、向精神薬とリチウムをもらうために精神科を受診していた。私の存在は病院では有名だった。毎月、女性へと生成変化していく私。知覚しえぬものを視る人々。断固として性同一性障害を主張しなかった。国家や医者に狂人認定されるのは統合失調症で十分だった。自分の性くらい自己決定したかった。顰蹙を瞳に浮かべた精神科医にはこれ以上私の人権に介入する権利は与えない。指を咥えて視ているがいい。私は診察のときは医者の目を真っすぐ見つめて話した。視界の片隅で私の胸にちらりと注がれる男性研修医の視線を感受してもいた。ルック・アット・マイ・ボディ。

 私は「白銀の口」の熟女風情なママと向かいあって座っていた。採用面接だった。「女性教室」の京先生の紹介でこの秘密シーメール風俗に辿り着いた。「女装子のハッテン場に行ってみようかしら」と京先生に相談したら、「白銀の口」の方がよっぽど安全だし実入りがいいと言われた。完全会員制の「白銀の口」は普通の店舗型風俗とは異なり、若者の街のど真ん中のマンションで営まれていた。隣り合う一一階の三室の3LDKが「白銀の口」の所有だ。事務所は角部屋の一室にあった。性遍歴と性感帯をやたら詳しく聞かれたことを除けば、普通の面接だった。そこまでは。「ちょっとメイクを落としてきてくれる?社長を呼んでおくわ。あとこれ。ギリギリまで我慢するのよ」とママの紫音さんは言って、私にイチジク浣腸と洗浄器を手渡す。
 急展開に少し動揺しつつ、ユニットバスの横の洗面台のクレンジングオイルでメイクを落とす。童顔の少女のような顔。スッピンを家族以外の人に晒すのは久しぶりだったから不安だった。それから、ユニットバスのトイレの便座に座った。便座が気持ち悪い温かみを帯びていた。浣腸液を注入するとすぐに、お腹が蠢きだして、ギュルギュル音を立てはじめた。排泄したかったが、言いつけどおり我慢した。一五分ほどで限界に達してすっきりさせてから、シャワーで洗ったのち、洗浄器で直腸を洗いショーツを深く穿きなおした。そこへ社長と思しき男と紫音ママが現れた。「場所を変えましょうか?」。

 六畳ほどのフェイク木目フローリングの部屋の扉を開いて三人で入る。ヒールが床を打つ硬質の音が鳴り響く。ママが見守るなか社長面接が始まった。仕立てのいいスーツを着たちょっとぽっちゃりした社長は、予想していた反社な感じではなく、普通の企業の中間管理職といった趣だ。ただ目が違った。その目を直視すると暗いサディズムの炎がほのめいていた。期待で背筋がぞくぞくした。
「そこに立って、脱ごうか?そこで裸になって見せてよ。ヒールは履いたままで」と言われた。刹那も躊躇わなかった。ゆっくりと黒いワンピースのファスナーを下ろしていく。肩口に手をやり布地をずらすと、ドレスがするりと床に滑り落ちた。自然光を浴びた裸体。ベッドに座った社長とママに身体の隅々を凝視される。ママの優しく包み込むような視線、社長の犯すような視線。
「いいね。君は本当に女の子みたいだね。竿なしとしても通用しそうだよ。どれどれ」と言って、社長は立ちあがり私の背後に回り、左手で乳房を掴み、右手を股間に伸ばす。陰毛をかき分け、包皮に指を突っ込み、深くに埋もれたしおれた亀頭が探られる。「妻のクリトリスより小さいよ。濡れやすいんだな」。引きぬいた指は糸を引く。私が分泌した液体で濡れた指を今度は私の肛門にあてがう。括約筋が強張り、菊門がきゅっと締まる。身構えていたが指は入ってこない。社長が急に動作を止めて私から手を放す。「ママ、ちょっと」と言って社長はママの方に顔を向ける。反応を誤ったかと戸惑った。
結論から言えば、私は合格だった。セックスをして見せる必要もなかった。社長曰く「初物としていける」とのことだった。なりゆきを翻訳すると、私は千人に一人の逸材で、処女のような肛門をしているらしかった。私の源氏名は「結華」になった。
「白銀の口」で得られる収入は法外なものだった。そこで行われる行為も法外だったのでそれは当然なのだが。魂の無垢は残るという援助交際肯定論者の正しさを証明すべく私は働いた。結華の魂が汚れているなどとは決して認めない。当面のお金にはまったく困らなくなっていたが、変身の完遂のために貯金していたので、翻訳の仕事も続けていた。姉は「ディオニッソス」の智慧を私に惜しみなく伝授してくれた。私は初めから玄人同然だったが、初物の名に相応しく初心な初心者を演じた。

 私の最初の客は上條という親子くらい年の差のある初老の男だった。理想的だった。私はほとんど彼の専属になった。初めて接客したとき以来、他の男に触らせないために、彼は私を指名しつづけた。彼はサディストでありマゾヒストでもあった。私に「お父さん」と呼ぶように命じた。必ず最長のイメージプレイコースを選択した。親子の設定だ。上條は私のことを「望」と呼んだ。いつも前半は彼が私を激しく責めた。バックから私に突き入れながら「望、望、お前が悪いんだぞ」と言って時折、私の尻を叩いた。私は身体を快感に震わせながら、心の不感症を感じていた。お腹に精液を注がれながら、こんなことで魂が腐蝕するとは思われなかった。後半から攻守交替。インポテンツの私はペニスバンドを装着して、上條の毛深い肛門を犯す。彼は涙を流して懺悔した。「望、許してくれ、もう二度としない。愛しているんだ。許してくれ」。上條をヒールで踏みつけていると、いつもプレイ終了を告げるタイマーが鳴る。

 私は頭が空っぽの性交機械と化した。不破姉妹と岩井兄弟のグループ交際も続いていた。都合がつけば、夜ごと高級マンションで性的オルギアが催された。金銭の絡まないセックスは気持ちがよかった。上條によって開発された私の肛門はあらゆるものを飲み込む宇宙だった。

 そのころ、私はかつて結華が毛嫌いしていた社会学者の宮台真司の九〇年代の本を熟読していた。哲学書も小説も性交機械の私は、ほとんど読めなくなっていたが、宮台の本は妙に突き刺さるものがあり、名古屋への行帰りの電車のなかで読んでいた。家に帰るとノートに引用メモを取るようになった。例えば《オヤジをカモり、徹底して戦略的に振る舞う現実の女子高生たちにとって、オヤジという存在は「汚れ」かつ「世界を受容した者」の象徴だ。そのオヤジ相手に売春しまくる彼女たちは「汚れ」てはいても、「世界を受容していない」。その意味でイノセントな存在だ》。
結華のことが述べられているような気がした。あるいは現在の自分のことが。私は十分にイノセントだろうか。宮台の言葉に縋ろうとした。実は私は魂が汚れはじめる兆しを感じている。スピノザによれば心身は並行的に存在しているのだから当然だ。精神とは身体の観念だ。だから、身体が汚れれば、精神つまり魂も汚れる。だから、断固こう主張しなければならない。セックスごときで身体は汚れないのだ、と。
 だが、現実は残酷だ。ゼロ年代後半になると「意味から強度へ」をスローガンとした制服少女たちのまったり革命は潰えた。元援交少女たちの多くが精神を病みメンヘラ化が進行しているという報告が上がるようになる。私の病も深まっていた。

 二〇〇七年八月、私は「白銀の口」を辞めた。
 同年九月、私は完全なる女性の身体を手に入れた。豊胸手術。ペニスを切開してヴァギナを形成する手術を受けた。Y田結華への生成変化のプロセスは完成した。

 手術のあとは凄まじい痛みに耐えなければならず、実家に引きこもった。尿のコントロールが効かず、オムツをしなければならなかった。姉はオムツをからかったが、病院で支給される白い紙オムツは色気がないと、女性用の花柄でピンクベージュの布オムツを買ってきてくれるという優しさを見せた。リビングで姉は女性誌を読んでいた。当面、性行為は控えるようにとロシア人の闇医者に厳命されていた。岩井兄弟とも疎遠になっていた。いまは祭の後、あるいは後の祭りだった。私は暇だったので戯れに私小説風の自伝を書いてみることにした。結華が居なくなってから、一〇年の歳月が流れていた。

 実家の固定電話が鳴った。



最終章 聖夜



 土曜日の早朝に起きて、一〇時ごろ名古屋駅で東京行きの新幹線に乗車した。最初、姉も同行すると言い張ったが、頑として断った。多少の不安があったがオムツはせず、尿漏れパッドで済ます。何度かトイレに立った。音楽も聴かず本も読まず、車窓からスピードを眺めていた。アルコールが欲しかったが控えた。あっという間に横浜駅を通過して、終点に到着した。山手線に乗って有楽町へ。

待ち合わせ場所は結華の指定した銀座教会の前。「聖なる土曜日」に相応しい。約束の時間に到着したが、結華らしき人物はいなかった。横には同じく待ち人来たらずの様子の女性が立ちすくんでいた。黒いドレスを着たその女性はもの凄く太っていて、養豚場の豚みたいな一〇〇キロはあろうかという体躯をしていた。しきりに腕時計を気にしている。こんなに寒い一一月なのにコートも着ていない。胸元から覗く肌が陶器のように白かった。そういえば、結華も《黒いドレスで会いましょう》と書いていた。だから私は黒のゴシックロリータのドレスを着てきたのだ。三〇分経っても結華は現れなかった。隣り合わせたモノクロの豚さんもキョロキョロと落ち着きがない。哀れに思い「あげるわ」と言って、ラビットファーのコートを豚さんの肩に掛けてあげた。彼女は困惑した様子で、首を左右に何度も振った。
 結華に電話を掛けることにした。発信ボタンを押した。突然、真横からケイタイの着信音が鳴った。豚さんの顔を覗きこんだら、彼女も狼狽しているようだった。彼女の瞳を凝視した。そこには或る種の焔があった。結華だった。その女性が結華だった。鏡が割れ、砕け散る音が脳裏で炸裂した。最愛の人は一〇年で三倍くらいに膨らんでいた。結華の驚愕ぶりは私の比ではなかった。目が合った瞬間、彼女は腰を抜かして尻餅をついてしまった。
 
二人だけの「聖なる土曜日」が幕を開ける。教会からオルガンの音がする。立ち上がれずにいる結華に手を貸して、その巨体を地面から引き上げる。何も考えずに彼女の尻の埃を払う。思考が追いついていないのかもしれない。あらゆる行為が成されるまま受け入れるような。サディズムマゾヒズムか、ブッチかフェムか、攻めか受けか、私にとってはもはやどちらでもよいことだった。善いことだった。それが「白銀の口」で授かった智慧だった。もしかしたら、男と女という最も強力な二元論さえも私は捨てさっていた。女になるために使った男女二元論という氷の梃はシーソーゲームを卒業したいま、溶けてなくなってしまった。漸く、というべきか、結華は声を発する。「本当に?」。
私は空気を振動させる君の美声にうっとりしていた。電話越しでは分からない繊細さを孕んでいる。こうして再会して、君が生きていることをこの目で、その肉体の実在を確かめて、私は今この瞬間、完全に満足した。仏教の悟りとは苦すなわち不満足の連鎖から解脱することなのだから、これそのものがニルヴァーナなのだ。生きるのも死ぬのも自由だ。生かすも殺すも君に委ねることにしよう。二人が別れた誕生日の日からちょうど一〇年後に電話を掛けてきた君だから、きっと何か周到な計画があるに違いない。それは君を捨てた私への復讐だろうか。ならばこの十字架の前で、ナイフを私の首筋に突き刺すがいい。君に刺されるくらいの覚悟はとうの昔にできている。憎悪であろうが何だろうが、私に無関心の眼差しを向けられるよりは善い。私は確かに君の瞳のなかに焔をみた。その焔は君のどんな感情を宿しているのか。知りたい。新たな欲望が私のなかに生まれる。知りたい。愛する者のすべてを知りたいと思うのは自然の摂理だ。ニルヴァーナが砕け散る。菩薩になれないのならせめて羅刹のように、無垢な天使が君なら私は汚辱に塗れた悪魔となろう。イエス・キリストを礼拝するためのこの場所で、私だけが涜神者となろう。神の裁きと訣別するために。およそ罪なるものは存在しない。ならば君が罪に塗れているはずがない。君が汚れているはずがない。それでも、君の身体、君の魂、君の血が汚れていると言うのであれば、すべてを私に注ぐがいい。私を供犠に捧げるがいい。存在しない神に跪き共に祈ろう。
結華は私が法悦に飲み込まれている間、辛抱強く待っていた。「そうだよ」と男の声を出して彼女を安心させる。何かが腑に落ちたようで、彼女は泣きはじめた。母にカミングアウトしたときの自分を見ているようだった。「一目見て……帰るつもりだったのに」。あの日、私を虜にした女と再会して、今更、逃がすわけがなかった。あるいは逃れられないのは私だったか。私は、もう一人の結華だったから。口説いたり懇願したりするつもりはなかった。彼女の大きな肩に手を回すと、強引に引っ張って近場のシティホテルに移動した。彼女も拒絶はしなかった。拒絶されても知ったことではなかったが。結華を連れて前もって予約しておいたダブルの部屋にチェックインする。

 部屋に入ると電気も点けず、彼女を扉に押しつけた。「お手洗いで……」。構わず、深く接吻して口を塞ぐ。二人の息が野獣のそれに変わっていく。唾液が混ざり合う。結華の豊満な身体をまさぐる。ドレスの裾を持ち上げ、ショーツを剥ぎとった。跪き、祈るように股座にむさぼりつく。錆鉄と尿と愛液が混ざった味がした。舌に赤い糸が絡まりついたので、二つの指で摘まむと抵抗感がった。強く引っ張ると彼女の膣から血に濡れたものが引っこ抜けた。細い経血の筋が彼女の腿を伝う。私は異常な解像度ですべてをこの目に焼きつけていた。月明かりの下、彼女の光る産毛が美しかった。クリトリスが勃起していることを指で確認して、包皮をひん剥き、舌を這わせ強く吸った。二人からは湯気が上がっているようだった。それまで声を押し殺していた彼女は「ダメ」と喘いだかと思うと、勢いよく放尿して、美しい放物線を描く。それを私は口で受け止めた。肉の小口から噴出する液体の聖なる音。結華のものを飲み込むもう一人の結華がそこにはいた。自らの尾を飲み込む怪物ウロボロス永劫回帰だった。二人だけの聖夜だった。私は血と小便に塗れていた。大学時代にアパートの部屋で行った数々の実験を思い出していた。
 脱力して私に体重を預ける結華。支えきれず二人は息も荒く床に転がる。ふと思いついて、暗がりのなか手探りで、私は結華に身につけてもらおうと思って持参したものをボストンバッグから引っ張り出した。後ろ手に装着すると尾骶骨にストラップが食い込む。屹立した銀色のものを彼女の膣口にあてがうと、滑るように挿った。彼女の両膝裏に手をあてがい、持ち上げる。脂肪の重みに存在の重さを感得した。私たちは初めてこの形で交わった。三ストローク目に彼女は果てた。痙攣が収まらないうちに、さらに私も彼女もがむしゃらに腰を振り、乳房を重ね合わせた。今度は二人同時に脱自の境地に到った。女のエクスタシーは無際限だ。並みの男なら畏怖するだろう。三回目のオルガズムのとき、結華はまたもや失禁した。張形を抜いて、再び涸れた放物線を口で捕らえる。結華の陰部の聖水を啜る。「私にも」と結華が媚態を浮かべる。私はストラップを千切るように外し、パッドごとショーツを脱ぎ捨てた。仰向けの彼女の顔面に騎乗する。女性器を人に晒すのは初めてだった。探り探り尿道口を結華の口腔に押し当てた。下腹部に軽く手を添えただけで噴出が始まった。膀胱がいっぱいだったので止まらなかった。彼女は咳きこみながらも、それをゴクリゴクリと飲み干していく。尿の奔流が収まるまで、私は股を結華の唇に密着させていた。目が暗さに慣れてお互いの高揚した表情がはっきり分かった。
 結華が覚醒した。豚みたいないい女だった。先程ストラップオンペニスを取るときにボストンバッグから落ちたのだろう黒い極太双頭ディルドを床から引っ掴み、結華はそれを自分に擦りつけ愛液で濡らしてから私の処女を喪失させた。さらなる血が流れた。あまりの激痛に涙と声が漏れた。右手で黒い巨根を奥まで突き入れながら、結華は舌で私の涙を舐め取った。私を仰向けにして、自らはおもむろに私の中心から屹立する男根をヴァギナに当てると膣に挿入した。体重のせいで私の方により多くが入ってきて、存在しない子宮が破れるような感覚だった。痛覚も限界に達し、失神寸前で何度も白目をむいた。私は声を出して泣いていた。それは痛みのせいだけではなかった。騎乗位から側位に変えたが、私が泣くのも構わず結華は動き続けた。彼女が二人分の愛液を供給した。サラサラなあの愛液を。
 いつしか、痛みは快感に変わっていった。マゾヒスト的に苦痛を快楽に変換するのではない。純然たる粘性摩擦の快楽だった。結華はマルチプルオーガズムを体現していた。もはや数えるのも忘れていた。そして、それは訪れた。私は業界の隠語である「メスイキ」がいかに男性の妄想に塗れた悪い冗談であるか身をもって知った。私は女性のエクスタシーを初体験した。俗に潮ともいうものが吹きこぼれた。男性だった頃の自分に伝えるとしたら、それは全身が射精直後の亀頭になったような感じだった。女性なら全身がクリトリスになった感覚と言うのだろうか。言葉が消滅していく。
 
 二時間半後、あまりに喉が渇いたので行為を中断した。アンモニアと鉄分でカラカラに乾いていた。二人の開口部はペースト状の粘々したものでベタベタだった。部屋の電気を点ける。想像以上に血みどろだった。二人も床も。シャワーを浴びるべきだと思ったが、口も粘つくので先に冷蔵庫からビールを取り出し、二人でシェアしながら二本、三本と空にした。浴場に行って服を脱ぎ捨て、お互いの身体を洗い清めた。一切の汚れが湯気と共に蒸発していった。「また、おしっこがしたくなってきちゃったね」と膣にタンポンのアダプターを挿入しながら、結華が言った。この日、初めて彼女が発したフルセンテンスだった。「女子トイレの連れションってこんな感じなのかしら」と私が女声で応じると、結華は「ふふ、一緒にする?」と言って、洋式便器の便座を支えにしゃがみ込む。向かい合って私もしゃがみ込む。二つの放物線が交錯する。ビールをたくさん飲んだせいか、おしっこは透明だった。かつて透明になるとは死ぬことだと思っていたが、違っていた。戦慄の時間は終わったが「聖なる土曜日」はまだ終わらない。
 ベッドに移動して、付き合いたてのカップルのようなセックスをしながら、二人は疲れ果て、いつの間にか眠りに落ちた。私は深い眠りのあと、悪夢に魘された。大きな鏡の前に私は立っている。あるいはそこに立っているのは結華かもしれない。右手には包丁が握られている。包丁が上方に振りかぶったところで目が覚めた。横では裸の結華がいびきをかいて眠っていた。枕元のデジタル時計は夜の一〇時を表示している。私はそっと彼女の脚を開いて蛍光灯の下、その性器をまじまじと見た。ぴったりと閉じた開口部は一本の筋になっていた。俯せに屈みこんでそっと舐めてみた。乾燥した女性器は最初、味がしなかった。結華は寝息を立てたままだ。更に舐めていると例の錆びた鉄の味がした。舌先で陰核の皮を剥く。徐々にクリトリスは赤く充血して勃起していく。垂れ下がっている白い糸の辺りから小さな泡が生じた。顔を上げると結華の乳首も勃っていた。本格的にクンニリンクスを開始する。陰部と肛門を交互に舐める。いびきが止み、結華が小さな喘ぎ声を上げた。激しく喘ぎだした結華がキスを求めてきた。私は「汚れちゃうよ、それにもっと舐めていたいの」と言った。「うっ、だ、大丈夫なのに。あ、はあ、はっ、話したいことが、あるんだけどな。うっ、あっ、お、女の子なのに、そんなに私の、あ、そこっ、好きなの?仕方ないなあ、そのままでいいわっ」と結華が呻くので、私は敏捷に身体を起こし、彼女の唇に唇を重ねた。すぐに口淫を再開するつもりだった。彼女はごくごく軽い調子で話し始めた。私が居なくなって荒れたこと、売春を繰り返したこと、悪い連中とつるむようになったこと、連中に騙され監禁されたこと、妊娠して大学を中退したこと、中絶したら二度と子供は産めないと産婦人科医に宣告されたこと。

 「娘がいるの。私。シングルマザーなんだけどね。誰の子供か分からないの」。



エピローグ



結華の最終告白。それは生の肯定、いや性の讃歌だった。空白の一〇年がなければ、さらには「聖なる土曜日」のあの戦慄の時間を、苦痛と快楽を経験していなければ、もしかしたらその最強度の最終告白によって私の精神は崩壊していたかもしれない。彼女は三年間をかけて、その超越的な美貌に群がる男共に復讐するために、六〇キロも太ったのだと言う。「聖なる土曜日」とは本来どのような計画だったのだろうか。私は計画通りに動かされただけではないのか。彼女の掌の上で踊るのが好ましかった。

私は戸籍上男のままだった。花嫁を迎えるのに何の不都合もなかった。「聖なる土曜日」の翌日、最初に開店した宝石店で誓いの指輪を買った。朝礼拝が行われている銀座教会の大聖堂に忍び込み、初来賓者席に座り、互いに跪き指輪を交換した。その日は聖餐式だったので、葡萄酒とパンの欠片が配られる。聖餐に与ることは辞退したが、祈りの歌を歌った。すべてが赦されるように祈った。赦されざる者を赦すのが神だろう、と魂の底で叫んだ。教会の出口から出てすぐに、結華と誓いの口づけを交わした。礼拝を終えた人々の海がさながら「出エジプト」にある如く、不埒な二人を避けるように割れていく。シナイ山に立ったモーセが神に名を尋ねたとき、神は「私はあるというものである」と答えた。I AM THAT I AM. 存在とは何か。存在とは西洋哲学史上最大の謎だ。このように在るということ。ただ在るということ。私と結華が存在し、出合い、生きて在るということ。
生の反対は死ではない。生の反対は、そもそも生れてこないことだ。人生の一時期に私も結華も、生れてこないことを夢見ていた。娘を産むという結華の選択は、虚無の意志ならぬ意志の虚無を完膚なきまでに破砕したのだ。その意味で結華の最終告白は一種の讃美歌であり存在と誕生の肯定だった。いかなる胚細胞も流してはならないという生存の無条件な肯定だった。
その後、最高の出合いと予期せぬ再会が待っていた。「合わせたい人たちがいるの」と言って結華はどこかにケイタイから電話を掛けて「ファックミー」と受話器に向かって呟いた。「何それ?」と聞くと「合言葉だよ」と答えた。小一時間くらい教会の前で待っていると、黒いワンピース姿の小学生くらいの女の子と手をつないで、見覚えのあるヨレヨレの黒服を着た男がこちらに向かってゆっくり歩いてきた。三田さんだった。もう一人の策士の登場だ。我が哲学の師匠は、いつしか結華たちの守護天使になっていた。開口一番「おお、純。ちゃんと式を挙げろよ」と三田さんは言った。

結華と六華という名前の結華の娘は私の実家に引っ越してきた。戸籍を移転してから婚姻届を市役所に提出した。姉は気が触れたように喜んでくれた。突然、可愛い孫ができたことを大喜びした母は、袖口で涙を拭いながら「必ず嫁の味方をするように」という箴言を誕生させた。結華は母に抱きついていた。私も結華も友達が少なく、披露宴に無関心だったので、実家で小さな結婚式を挙げることになった。驚くべきことに三田さんが司祭の資格をオンラインで取得していたので神前式だった。三田さんが「主賓は必要だろう」というので、岡村に幾億年ぶりに連絡してみたら、悦び勇んで駆けつけてくれた。もう一人の花嫁側の主賓はもちろん結華の母親と義父だった。彼女には当然にも結華の面影がある美人だったが義父だけでなく、見知らぬ若い美女も同伴して来て、誰だろうかと思ったら、存在すら知らなかった結華の妹だった。これには驚きに耐性のある私もさすがに驚いた。神秘的な女は魅力的だと言うが、謎が多いにも程がある。結華の義父は所在なさげだった。変な主賓と愛する者たちに祝福されて、私たちは家族になった。
 
六華という名に相応しく娘は美しく、優しくて、賢かった。女として認識してくれたのか、娘はすぐに私には懐いてママと呼んでくれた。結華のことはお母さんと呼んだ。二人の遺伝子が確かに息づいているような気がした。私は親馬鹿なのかもしれない。とりわけその才気には瞠目すべきところがあった。結華と三田さんの英才教育を授けられたのだから当然とも思えたし、血の為せる業かとも思った。目下、彼女の愛読書はスピノザの『エチカ』だった。ジュディス・バトラーでさえ九歳のとき、まだ『エチカ』を読みこなしていなかった。最近は私の蔵書を渉猟することに夢中だ。私の卒論を見せたら読みたいと言うので、ベッドタイムに一緒に読んでいる。また驚くほどのことはないが六華は小学生にして三田さん以外の男を憎んでいた。子供は親の背中を見て育つ。結婚式のあいだ中、彼女は岡村とジィジに氷のような視線を浴びせていた。言うまでもなく、姉も姪っ子を鬼可愛がりしていた。六華は親には相談できないことを姉に相談しているようだった。彼女の悩みとは夜尿症だった。真剣な悩みだった。母たちだけには知られたくないという話だった。東京に居たときは、三田さんが「内緒」でオムツを買い与えていた。もちろん大人たちには周知の事実だった。夜尿症は明らかに結華の教育の副作用だと思った。私は自分のオムツを六華に見せてあげた。尿取りパッドというものの存在も教えてあげた。彼女の症状はぴったりと収まった。

I AM. YOU ARE. WE ARE. 私は存在する。君たちも存在する。私たち、家族が存在する。私たちは最後には神と和解をしたのかもしれない。神のみぞ知る。





■引用文献



ヘンリ・ミラー、大久保康雄訳、『北回帰線』、新潮文庫、一九六九
宮台真司、『世紀末の作法』、メディアファクトリー、一九九九

【予告】連続コラム「JOHNNY HELL HEAVEN」連載のお知らせ

SHERBETSの'Black Jenny'を聞きながら、この原稿を書いている。世界があまりにも狂ってるから、少しでも正気を保つために。なんで'Black Jenny'かと言えば、浅井さんがそのソロ活動を'Black Jenny'への門として展開して始めたからだ。結果として'JOHNNY HELL'という歴史的な名作が爆誕してしまったのだが。


www.sonymusic.co.jp



これから、不定期で浅井健一の1stソロアルバム"JOHNNY HELL'をめぐる冒険コラムを連載していく。



神秘的なところまで行こうぜ
詞:浅井健一「哲学」

読んで書いて読んで書く

持病で昂り、デジタルなものなら長文でも読めるのですが紙の本に十分と集中できずにいるのに、わたしは紙の本を愛好しているのでどうしても紙の本が読みたくなり、図書館で借りることができる上限に達しました。出力の時期と割り切れればいいのですが、実際今こうしてこれを書いていますし、でも、やはり紙の本が読みたいという欲望だけはあるので、試みにいろんな本を無作為に選んで、以前の記事で提示した「乱視的読書」を加速して数行から数頁ずつ読んでみることにしました。この文章がこんな具合になっているのは、直前に金井美恵子の短篇「降誕祭の夜」の冒頭とエッセイ「テクストの快楽」の前半を読んだからで、つまり文体上の感染が起きているわけですが、別のエッセイの題が「読んだから書く」で、そして今こうして金井さんの文章を読んだから書いています。
金井美恵子さんと言えば、蓮實重彦を連想するのですが、なぜかというと文体上の類似の特徴に加え、『岸辺のない海』の解説文を蓮實さんが書いていたりするからですが、次は蓮實さんの『フーコードゥルーズデリダ』のフーコー論に目をやり数行の文字を追うと、驚いたことに金井美恵子蓮實重彦の文体は全く異なるではないか。(今書きながら読みながら書きながら読みながら…)書いているのだが、既に蓮實文体のへの感染がはじまっていることは言うまでもない。金井さんの文章を最後にいつ読んだのか、忘れるほどに久しぶりに読んだのだが、驚くことができる自分に驚嘆することを禁じ得ない。
フーコー繋がりで蓮實の本を置き、小泉義之フーコー論に軽く目配せをしたが、興をそそられない。これを読んでくれている若い読者(三十四歳以下の者)にはこの文章の意図は伝わりかねるかもしれないが、今は措く、あるいは流しておく。

☆☆☆

さて、この調子で十分、紙の本を楽しむことが可能だと分かったので、続けていくことにする。次はどの本たちを読もうか。

自由に読めばいいし、読書はあなたを自由にする。

浅井健一さんのこと

語りつくせんので、手短に話すわ。ベンジーこと浅井健一さんは天才なんだ。俺が尊敬してて、いつか追いつこうとしてる、数少ない大人たちの一人さ。いまSherbetsのDVDの音を聞きながら、これを書いとる。本当は善悪について「Black Jenny」の分析をしようって思たんだけど、かっこ悪いでやめた。初めて浅井さんの歌をしたのはテレビで裸で変な人たちが「不良少年の歌」を歌ってて、ぜんぜん喋らんくて笑った。確か小学生だった。CDを買ったのは『C.B.Jim』で、「d.i.j.のピストル』は最高だったけど、「悪い人たち」は恐かった。BLANKEY JET CITYは確かに好きなんだけど、なんと言っても浅井さんの1stソロアルバム『JOHNNY HELL』が人生のベストアルバム。全部いい。けど、一番は、やっぱり「Green Jelly」。BJCのなんかと呼応してるんだよ。「緑のゼリー」がさ。COLD MINK CLUBにも入ってさ。名古屋のライブ、整理番号8番のチケットが抽選で当たったんだけど、入院と重なって行けなかった。仕方がないよね。人生は唯一だからさ。一番の宝物は浅井さんに俺が書いた小説を送ったら、贈ってくれたピースマークだよ。じゃあ、またね。さよならなんて言わない。

Are you happy?

I'm happy.

唯の日記、唯の生

2025/6/15/16:00‐6/16/3:00



久しぶりに会う親友二人と飲むってんでそわそわ。集合時間の2時間前に家を出る。30分歩く。成石神社により菅原道真と山之神に祈る。更に歩く。家康ゆかりの寺である常楽寺によって、本堂に上がり南無阿弥陀仏。そして対話的に祈る。「俺はキリスト者になるかもしれないぜ」。宇宙である阿弥陀仏はお赦しになるだろう。さらにさらに歩いて青山駅前へ。交番があり、警官がいる。ギャルたちが地べたに座っている。親友Aが改札口から出てきた。「久しぶり、元気だったかい?」。「うん」。魚民に移動して、路喫してるもう一人の親友Iと再会。「のもっか?」。魚民の個室。スマホで注文。隣の輩がうるさい荒んだ店内。生ビールの大ジョッキ、目がジムビームハイボール。つまみがクソまずかった。「言ってはいけない」話ばかりする。20:00。早々に店を出る。どこもかしこも人材不足だか人件費削減高でやさぐれてる。雑居ビルのなかの小さなスナックへ。乙女座の星が店の名前の由来。7人掛けのカウンター。ママ(53)と大ママ(80)が素敵だ。自分の病気を素直に話せた。芋焼酎のボトル。もっと「言ってはいけない」会話。ボトルを空に。支払い能力が途絶え連れに借金。22:40。スペインバルへ。エビのアヒージョ。美味。記憶が途絶え始める。途中まで友達と夜道を歩く。

真夜中。

「信仰なんかより友達とかのほうが大事だよな」。

再開に寄せて……人生の唯一性

先日、友達と永遠回帰について話したのが印象に残った。「永遠回帰」と言うと何か深遠なことが語られていると思うかもしれないが、そんなことはない。自分の人生を肯定できるかどうかの試金石にすぎない。現在時の幸福感を知ることもできる。それは以下のような思考実験だ。「あなたの人生をすべて同じ順序と脈絡で、あなたが繰り返すとしたらあなたはどう思うか?」。人生がループするとしたら。永遠回帰はループではないという珍妙な解釈をする人々もいるが、それは人生から逃げを打つことだ。私は先の問いに対して、「イエス、何度でも繰り返す」と答えることができる。それは運命愛と呼ばれもするが、とにかく悲惨な出来事や不幸な出合いも多々あったが、それらを補いうる歓喜や幸福な出合いも確かにあったと思えるからだ。残念ながら、しかし、たぶん死んだら終わりと見込んでいる。輪廻からの解脱を目指して精進してる人々には悪いが、死んだら終わりであり、輪廻と永遠回帰が消滅する先に、その人が唯一の死に向かいつつあるその人の一回きりの生の唯一性が立ち上がる。「永遠回帰」という思考実験は人生の唯一性を言うためにある。あとは、いつ死んでもいいように頑張るだけだ。